それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

4月10日 今日をこなす。

昨日漢方薬を処方してもらったので、服用してみる。

これを、夫に伝えるのがまた勇気がいるので、黙っているつもりである。

今日も、金にもならない事務仕事がある。

幼稚園の手続き関係の書類とかいろいろ。

私は消費者としての立場で、経済に貢献するしか能がないのだ。

 

昨日は、メンタルヘルスの先生に「過去は過去だから、もう振り返らずに今をみるといい」と言われた。確かに。

でも、youtubeでラジオの録音のを聞いていたら、

上っ面をとりのぞいてもダメ

臭いものは根本を絶たないとまた臭ってくるよ。

と言っていて、なぜそうなってしまったのか

振り返って振り返って、考えてみて。

と言っていた。

どちらが良いかは人によるだろう。

 

私は、失敗に弱い。

失敗できないと思い込んでいる。

さらには批判に弱い。

叱られる、怒鳴られる、不要な大きい声、大の苦手である。

 

仕事で日々嫌味を言われながらも働いている母や妹は、すごい。

 

ただ思うのは、自分がこんな風になってやっと辛い人の気持ちがわかる。

落ち込まないと落ち込んでいる人の気持ちがわからない。

片づけられない人の気持ち、家事する気力がわかない人の気持ち、

がわかるよ。

 

これからは、誰かを否定することなく「そうなんだね」って言える自分でありたい。

 

失敗することもあるさ~

 

究極、最後にはみんな年をとってさ、息絶えるんだよね。

その時に、楽しい人生だったとか思えなかったら、もうそれでもいいさ。

楽しいこともあったかもしれないけれど、それに目を向けられない状態だったのだ。

 

うちの母、去年60歳になったんだけど

「60歳になればいいことがあると思って頑張ってきました。」という内容のラインを私に送ってきたんだけど、娘があなたの希望した職業の男性と結婚したり、孫がうまれたことはたいしていいことではなかったのだな、という感想を私は持ちました。私は母を喜ばせたつもりが、母にとってはまぁよかったねって感じだったのだ。私が勝手に期待したのだ。ははは。

 

人にどう思われてもいいよ。もう思いたいことを思わせておけばいいのさ~

 

相手が怒ってらっしゃると思ったら、すかさず「ごめんなさい。申し訳ございませんでした。」とあやまる。

そして相手に期待しないほうがいい・・・。

 

こんなに謝ったのに、とかは無しだ。

 

まず、やらないとまずいことからやってみよう。

で、今後やることを増やさないこと。

お誘い、習い事、今やらなくてもいい片づけなど、全部断ろう。

友達いなくなってもいいよ!!

大丈夫、病院とか役所の精神相談窓口みたいなとこ、

友達よりちゃんと自分の気持ちや話を聞いてくれるよ。

そして、アドバイスしてくれて必要なら薬も出してくれるよ。

仕事だからさ。

 

友達は、「あーなんか重いなー」ってなったら離れていく可能性もある。

友達って選べるからね。家族や親せきは選べないだろうけど。

 

事務的な、期限迫ってる系をまずはこなそう。

それが終わったら、あとはもうだいたいどうにでもなる、かも。

 

期限迫ってる系だけが、期限過ぎたときにまたややこしいからさ。

それだけ、がんばろ。

 

4月9日 今朝の気分

今朝、気分が落ち込んでいる。

冬によくある現象が今日も。でも、起きた。炊飯器でご飯を炊いた。今、ブログに記録しようとしている。

だから、とりあえずは生活できそうな予感だ。

 

私は打たれ弱いのか。

いえることは、強いがあるから弱いがあり、比較のしようがなければ弱いとはいえないだろう。

ただ、思うのはなんか辛い。

なったことはないのだけれど、不登校の子ってこんな気分なのかなと思う。

私も今学生で、こんな気分なら学校に行くのがすごくだるい。だからといって特にしたい何かがあるわけではないのでる。

 

3月と4月の始まりと終わりの切り替えの時期が大の苦手である。

変化に弱いのかもしれない。

今年もやばかった。

実家にいって、慣れた人がそばにいる環境にいってなんとか落ち着いた。

 

最近の不安ごとは、子どもの幼稚園である。

入園したばかりではあるのに、すでに辞めたいのである。

辞めたい、と入力した。辞めたいんだなぁ。

少人数で親のかかわりが多い幼稚園に入ったのだけど、子どものためにそういうことをやりたいわけではないのだ、と思った。もはや何もしたくない。必要最低限以外のことはもういいって思う。

 

私は子供の頃、保育園が嫌で、嫌な思い出ばかりもっている。

でも、その時が終わったのだ、もう体験しなくてもよいことなのだ

と思っても、またその時の嫌だった気持ちが戻ってきたりする。

あの頃から、嫌だって言えなかった。

保育園ではおとなしいいい子だったかもしれないけれど、家ではそうでもなかったように思う。

 

もっと楽に楽に生きたい。だけど、まずなにからはじめたらいいのかわからない。

小学校が減少しているという記事を読んで、自分の過去について考えた話。

我が家の唯一の新聞、朝日小学生新聞

昨日の1面記事は「小学校減り 統廃合へ 岩手県雫石町 来年度は5校へ」である。

1957年度 全国に2万6988校あった学校が、今年度は2万95校(うち公立は1万9794校)。2050年ごろには今の3分の1になるという研究があるそうだ。

 

雫石町の廃校になる学校は、139年の歴史があるそう。3面に関連記事もあり、そちらに掲載されていた学校は143年の歴史があるという学校は50年前は200人以上が通っていたそうだ。

記事の最後の方には「これから日本は史上初めての人口減少時代にはいります。」とあった。

 

全体としては人口減少社会なんだろうな、とは思うけれど、以前の新聞か何かの記事で人口が多くて小学校が足りないから新しくつくる的な記事をみかけた。偏りが生じているのかと思う。

 

地方から都市部に人口が移っていく流れ。それぞれの考え方で、悪くはないと思うけれど、「地方から都会へ」は自分が大人になって親から言われてたことが刷り込みだったと思ったので、記録しておきたい。

 

私の故郷も人口減少が進んでいる。企業を誘致したいとか、人を呼ぶためにいろいろ模索している。

予想だが、今私の故郷に住んでいるうちの親は、地域経済とか人口うんぬんとか未来の地元がどうなるかとか多分考えてなかったと思う。

特に母は、どこそこのだれだれはどこに進学したとか、どんな仕事をしているとか、どんな暮らしぶりだとか、そんなことをよく話していた。そして、子どもたち、特に娘には家を出てそとを見てきたほうがいいみたいなことを言っていた。(今思うと、近所の人や親せきとコミュニケーションがあるからこそ出てくる話であり、近所の人の名字は知っているけれど会釈しかしないうちからしたら、いいなぁと思う。)

高校生になると「○○ちゃん(私の2歳上の先輩)が彼氏ができたんだって。○○(私)は、なんのために高校にいくのかちゃんと考えなさいよ」と言われたのだ。当時「天使なんかじゃない」という漫画とか学園漫画を読んでいたために、学生時代の制服デートに密かに憧れていたが、、、「え?そうなの??今、遠回しに恋愛禁止令出ましたよね?」と思ったものだ。結局、彼氏も男友達といえる人もできなかった。2年生後半から、3年生の時はずっと進路のことで頭と心を悩ませていて、心から安心して楽しんで学校生活を送ることはできなかったと思う。

特別なりたい職業もなく、ぼんやりとしかなく、(今なら運よく合格したといえる)文系の学部がある大学に入学し、母親には「一流企業の入社試験をうけろ、それか資格をとりなさい」みたいなことを言われた。

 

長女だったということもあり、心配だったのだと思う。

でも、母にとっての安泰な暮らしといえば、大学へ行くこと、それから高収入が期待できる資格をとるか、有名な企業につとめるか。そして、親戚にも恥じない?娘であってほしいみたいなのあったと思う。

お金のことでよく私の父親と気まずい雰囲気になっていたので、私も子供の頃はもっとお金があればなぁ、と思っていた。

 

今は、ある収入の範囲内で暮らしていけばいいじゃないか、と思う。そこに、勝ちも負けもないだろう。みんなと同じものを持ってないことがかわいそうとか、みじめとかではないんだよね。うちにはありません、以上。それだけなんだ。

 

母は地元に帰ってきなさいとは言わなかった。父とはほぼ会話しないけれど、肩書や収入で人の価値を判断するところがあるので、子どもたちは父の自慢の子には誰もなれなかっただろう。

 

家でゴキブリを1匹みかけると家中に何十匹と潜んでいる、みたいなことを聞いたことがある。例えがよくないが、うちの親がそういう価値観だった時に、同じ地域に似たような考えの家庭(子どもは都会の大学へいって都会でたくさん稼ぎなさいのよう考え)が何十軒もあったとしたら、そりゃ人口が減るわな、と思う。

 

夫の地元は県庁所在地である。県内外から人が移動してきたようで、子どもの頃遊んでいた公園も、空き地も、子どもが遊べるような場所にはぎゅうぎゅう詰めに家がたったそうだ。

 

人口が減ることに寂しさを感じる。

でも、世界的には増えているんだよなぁ。

便利か不便かもいいんだけど、自分にとっての豊かさとはどういう状態かを今後は考えていきたい。

 

 

雨だなぁ。

今日は雨。昨日はポカポカ陽気だったのに。

雨だからなんかへこんでいる。

子どもは録画していたおさるのジョージをみている。

平和だ・・・。

 

雨の日はどうしても気分が上向きにならないけど、まぁよい。と思ってただ時間が過ぎるのをまつ。そもそも2日前に色々人と話して、その考え私にはないわぁという意見をきいたので、その情報をかみ砕いて消化して排泄するまでに時間がかかっています。

詳しくは載せないのですが、ほんっとに人っていろんな考えを持っているのだなぁと思ったら、人と自分の気持ちについて話をするのが怖くなってくる。気を付けよう。私にはすぐに弱音を吐く癖がある。でも、弱音を吐きたくなる状況がある、そして、弱音を吐く場所もない。でも今は、インターネットで検索すれば悩みをきいてくれたりする公的なサービスの番号などがのっていたりするので、それを利用すればいいのかもしれない。ただ、何から伝え始めればいいものか。そういう電話でさえ勇気がいる。相手はプロで何も利害関係のない人なんだ、と思えば、気持ちの整理のために誰にも話せない気持ちを話してみるのもいいかもしれない。

相談する相手は本当に選ばないとならない。それは5年くらい前に当時60代の女性に言われたこと。でも、すっかり忘れていたり、会話のノリで話してしまったりすることがある。心を許したくなるときがある。誰かに話を聞いてほしいときがある。

 

私の祖母、90代で一人暮らしをしている。もう30年以上一人で暮らしている。私が高校生で実家にいた頃、「寂しい、話し相手がいない、鬱なんじゃないかと思う、話さないことが多いから大きな声が出にくい」などと言っていた。その時はあぁそうなんだと思って、そのまま。私は学校へ行けば誰かに会えるし、話す機会もあるし、人の目は気になってはいたが、寂しいと感じることはなかったかもしれない。高校生なりの未来への不安とか、そういうのはあったけども。

今専業主婦で、ほぼ子どもとしか話さない日々である。また、大人と話す機会があっても子どもが一緒だったりして、話が中断することや子どもの機嫌をみながら話さないとならなくて、そんなことが何度も続くと子連れで人と話すのがおっくうになってくる。すると、積極的に人と関わらなくなる。みずから選んだ寂しさかもしれない。

ただ、30代の私だけれど祖母の寂しさはこんな気持ちだったのかなぁ、などと想像する。そして、寂しいって素直に言えるっていいなって思う。我慢が美徳の時代を生きてきたと思うが、肉体的な労働的な我慢はあったとしても、心は自由というか。寂しいとか悲しいとか辛いとか疲れたとか、言ってもいいんだよね。ネガティブな言葉を言うのはタブーって話があるけれど、今はそういう我慢が美徳と思っている人もいるかもしれない。次は、寂しいとか悲しいとか辛いとか、そういう状況に自分を持っていかない流れになるかもしれない。そもそも精神的に我慢しない。そうすれば、そういう発言をしなくて済むのだから。やはり、ネットとかでワクワクとか好きなこととかが支持されるのって、流れなんだろうなと思う。

 

ワクワクも好きなこともなく、新しい刺激がないと、過去の嫌なことをもやもやと考え続けてしまったりする。時間がもったいないような気もするけれど、味わいきらないと消えていかないようだ。

 

最近は、これが私なんだから、「あーそうなんだなぁ」と思ったら楽だな、と思うようになってきた。必死になって変えようとしなくてもいいんだなぁ。

 

寂しくてもいいんだよ。寂しいを味わいきってやろうじゃないか。まずは目の前の事務的なことや家事を淡々と取り組もう。それから体をあたためて、休もう。

冬のせいか、気持ちが内向きに。特別なことはやらない。

寒いのは大の苦手である。

冬はこたつに寝ころんでテレビをみたり、スマホをみているときが極上の幸せである。以前の私なら、ウィンタースポーツをこどもにやらせてみたり、土日はどこかに出かけたり、とにかく今日はこんなことをしましたと言える一日が素晴らしいと思っていたように思う。その時はその時で楽しかったのかもしれないけれど、帰宅後子どもたちの世話が疲れて嫌になり、イライラしまくっていたようにも思う。実際どこかに子連れでいっても、子どもたちがどこかに行かないかとか、他人に迷惑をかけないようにとか(ぶつからないように、通行の邪魔にならないように、壊しちゃダメな高価なものに触れていないかなど)考えて気が張っていたように思う。そういうことが積み重なって、だんだん外に出かけるのがおっくうになってきたのかもしれない。それとも、最初からインドア派だったのに育児本とか読んで、子どもをなんとかするために頑張って外にでていたのかもしれない。とにかく疲れた。やらなくてはならないことは、実際そんなにないのかもしれない。洗濯して、掃除機かけて、食器を洗って、料理して、ちょこっと掃除して、あとはゆっくりお茶を飲んだり、横になりたいのだ。

 

最近、「大家族石田さん家」のお母さんが視聴者の質問に答えるyoutubeの動画を見ている。さすが9人の子を育てただけあって、言うことが現実的である。

もーまとめサイトとかの、理想とキラキラした言葉と感情論といいところばっか切り取ったポジティブな子育ての話みたいなのは見飽きた。

誰かに頼ろうだの、たまには休もうだの、夫がどうのだの、テレビは1日〇分にしようだの、その記事を書いているあなた!だったらうちの子の子育て手伝ってください、と思う。

石田家のお母さん→

子育てはお金がかかるのよ。

人に期待しない。 

などなど、バッサリと言ってくれるのがよい。知らなかったことを教えてくれるというよりも、自分もそうじゃないかなって思っていたけど育児本ではこう書いてるしテレビでもお涙頂戴ものとかドラマではこうだし、みたいな現実でないものが自分の中で理想になっていた考えをうるせーわ!って破り捨ててくれるような、目が覚める思い。

子どもに期待しないし、親にも期待しないって立ち位置で自分の生計をたてていけば、親ががあーしてくれなかったこーしてくれなかったとかいうのもないのかな?と思った。ま、多少あるかもしれないけれど、それは情報化社会の弊害というか・・・・他の家やメディアにでてくる人と比較して、あんな親や家庭がよかったとかなるからなのかもしれない。私もいっぱいあります!笑 でも、逆に今はネットで検索すればいかに自分の親がまじかよーみたいな人だったかって内容の記事が落ちていたりして、そっちを探せば我が親はまだましなんだって思えることもある。道具は使いようである。

 

今日は、体調がすぐれなくて学校を休んでいる長女とともにDVDで「アルプスの少女ハイジ」をみながらこの記事を書いている。

ペーターはお父さんが亡くなって11歳でヤギ飼いの仕事をしているそうだ。えらいなぁ。ハイジをおじいさんのところに連れて行ったおばさん、自分のやりたいことも我慢して5歳になるまで自分の子でないのにここまで育てたんだから次はあなたの番です的なことをおじいさんに言ってた。いやーおばさん、すごく大変でしたね・・・0から3、4歳までが本当に大変なんですよね・・・それをよくぞちょっと世話がしやすくなった5歳からおじいさんにお願いすることにしましたね・・・。まぁ、私は昨日車の中でチャイルドシートに座っていた5歳児に運転席の後ろけられましたけどね。5歳児、車の前を通りすがった猫を見ることができなかったので、怒って泣いてた。 とにかく、おばさんお疲れさまです。とか、人間関係の目線からハイジを見ている。私もおばさんになったものだ。

 

 

これから必要になる教育は、Uターン教育。

地方から人口が都会へ移動している。

 

次の3月に卒業式を迎えて地元を離れて都会へ

または、大学や専門学校へ進学

または、親元を離れて就職する

という学生がたくさんいることだろう。

 

で、全国的にどうかとかいうのはよわからないのだけど、

私の同級生や地元が同じ人に限って言うと

そのまま進学先の土地に就職するとか、

そこで恋人ができて、結婚して、子どもがうまれて、家をかって、、、

というパターンの人が少なくない。

 

で、ふと気が付くと、親がいつのまにか高齢者とくくられる年齢になり

地元に帰るとなんだか人が少ないような、

シャッターが閉まったままのお店を見かけるようになり、、、。

 

まぁ、自分の育った町がどうなろうと、しったこっちゃない、

と思う人もいるだろうが、親が暮らしている場所が人口が少なくなることで

店が閉まったり交通の便が悪くなったりすれば

安心とは言い難いだろう。

 

それにしたって、なぜ地方から都会へ若者が行ったきり

帰ってこないのか。

確かに、若者(ここでは、10代後半から20代を若者と呼ぶことにする)の気持ちはすごくわかる。

雑誌、本、テレビ、スマホから色々な情報が入る、自分もお金をがっぽり稼げるという意味での成功者になれるかもしれないと思っちゃう、都会には遊ぶところが地方よりは多くある、親や家族よりも友達が重要に感じる時期だったりもする、、、

そもそも地方には県庁所在地か人口の多い街にばかり進学する大学や専門学校が集まっている。すると、その県内の高校生が都会にいかなければ県庁所在地の学校へ進学する。または近場の大きな街。例えば、私は生まれ東北なので東北各県から集まってくる仙台市のような。

 

若者の時は、自分と家族、までは視野にあるんだけど、地域や地元、まではきっかけがないと考えることがあまりないように思う。

だって、あって当たり前。空気のような存在だから。

地元からあまり出たことがなければ、比較のしようがないので

体験として自分の地元のよさなどにも気が付かない。

そもそも雑誌やテレビの情報を疑ってみる、というかこれは作り手の目線でつくられたものなので、自分はそう感じないかもしれない、という目線で情報を受け入れている学生がどれほどいるだろうか。

または、学校や家庭でそのような話をしているだろうか。

 

中高生や若者が、進学、就職までは目の前にある課題として本人、親、学校の先生が結構頑張って知恵出して考えることができるんだけど、その時結婚とか子どもとかまで考えているかは微妙。若者である本人は、人生経験も少ないし目の前の課題で精一杯かもしれないが、親などまわりの大人は人生の先輩として何かアドバイスできることはないだろうか。親の体験でもいいし、過去からの学びでもなんでもいい。

 

私の反省としては、アウェイ育児(と、地元から離れて子育てすることをいうらしい。)になっているけど、もう小学校にも通っていてこの土地から移動することに重い腰をあげないといけないこと、が、まず挙げられる。夫が忙しい仕事のために、入学式は私だけ出席。祖父母参観日があるけれど、どちらの祖父母も遠い場所で暮らしているので参加したことがない。などなど、自分の子ども時代とは違うことが多く、なんだか寂しい。

 

前置きが長くなったけど、これから地方活性化のために必要になる教育は、Uターン教育だと思う。観光に力を入れるのもいいし、特産品をアピールするのもいいけれど、まずはその土地に住む人を増やすっていうよりもそこで育った人が地元に戻って住むということが経済を維持していけるポイントではないかと思う。

 

女性が地元に戻って結婚、出産、子育てともなれば自分の親の近くで子育てができる。どの程度手伝ってもらえるかはそれぞれの家庭にもよるだろうが、一緒に七五三を祝ったり、運動会や行事をみにいったり、近くに子どもの成長を喜んでくれる誰かがいるって嬉しいだろうなと思う。それを夫にばかり求めていると、夫も負担だし、期待にこたえてくれないことにイライラしてしまう自分もつらい。

 

Uターン教育って、市長の固い話をきくってことじゃないのね。地元のそのへんのおじさんやおばさんの話をきかせる。幸せに地元で暮らしているおじさんおばさん。または、Iターンや結婚でその地域にきていて、ほかの地域に比べてこの街はここが優れているということ、この地域で暮らすメリットを話してくれる人。中学生や高校生がその地域にうまれたことを誇りに思えるようなことを言ってくれる人の話をきかせる。

 

それから、仕事を求めて都会に出る人も多いと思うけれど、大人になってどれくらいの収入があればどのような生活になるかっていうプランを考える機会を何度も与える。なりたい仕事、やりたい仕事も大事だけど、なりたいものがないなんて子にはこの仕事なら収入はいくらという選び方もありだ。ちゃんと、この収入は現在のもので将来はどうなるかわかりませんという但し書きをつけたうえで。そして、例えばプロスポーツ選手になって億稼ぎたいっていう子には、無理とか頑張れとか先生の感想をいうのではなくて、その職業につくのにはどれほどの狭き門かということをデータで示す。その後は本人の意思次第。

 

また、都会へ行ったことのない子に向けて、都会の暮らしとはこうですと経験者にはなしてもらう。都会で一人暮らし経験者と都会で子育て経験者に話してもらう。メリットもデメリットもはなしてもらう。そして、都会にあって地元にないもの、都会になくて地元にあるものを子どもたちで話し合う。都会にあって地元にないものは作り出せるかもしれない、と思う子がいるかもしれない。都会にあって地元にないけれど、別にいつもいつもなくてもいいから、たまに都会に行ってみればいい、と思う子もいるかもしれない。

 

できるだけ都会にも地元にも中立な立場で、と言いたいところだが、Uターン教育という名前だけに、地元に有利な立場で地元のいいところをたくさん伝えたらいいだろう。

 

私が中学生の頃、私よりもだいぶ成績の悪かった男の子、地域でも勉強の成績がよくない子がいくといわれる高校へいった。その後進学し現在全国どこでも食べていける資格を得て、私よりも収入がある。子どもの頃の成績ってそんなにあてにならない。だったらあの時もっと、未来について、人生について、幸せについて考えたり、知る機会があれば、どんなによかったかと思う。

 

 

 

子どもと本屋に来て思ったこと。

3歳児と一緒に本屋に来ています。

 

うちの3歳児、子どもコーナーから一歩も動きません、、、。

 

子どもコーナー以外も本を見たいけど、イヤイヤ騒ぐので行きません。

 

なので、母のスマホタイム、、、。

 

もしかして、こんなときは子どもに寄り添って本について子どもと話したりすればいいのかなぁ。長男のときはできたけど、今はもうそういうのいいかな、と思います。他のお客さんや店員の目を気にして、いいお母さん演じたかっただけでした。今、いいお母さんを演じないとならない場面はいくつもあるので、本屋でくらいスマホいじります。

 

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本屋には、これに目を通すとしたら何時間かかるのだろうと思うくらい本があります。その中から、いい感じだと自分が思う本を手にとるわけだけれど、それは、人との出会いもそうだなと思いました。

さらには、この本の数だけ、思想や価値観やデザインやサイズや厚さや色々あって、正解とかないな、と思いました。

 

ガツガツとアクティブに動きまわってもいいし、ダラダラと溶けそうなほどに伸びていてもいいし、その時やってみたいことをやるだけで、どれが正しいだなんて、余計なお世話かなーと思いました。

 

子どもコーナーに飽きたようなので、さぁ移動しよう。