それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

カウンセリングを受けてみた話。

昨日、本を読みました。

タイトルは、『孤独と上手につきあう9つの習慣』和田秀樹さんが書かれた本です。

 

私は今、孤独を感じているので、

どうしたらこの孤独と仲良しになれるのか。。。

知りたいと思いました。

 

本の内容の習慣9に「心のプロ」に頼る

というものがあって、

「カウンセリングを活用できない日本人」とありました。

日本→わざわざメンタルケアが必要になるなんて、自己管理ができていない証拠

欧米→自己管理をするためには、メンタルケアが必要なんだ

 

と、考え方の違いがあるそうです。

エステやマッサージをして体のケアをするように、心のケアも考えるといいそうです。

また、被害者意識から抜け出せるという利点もあるそうです。

「専門家など、モノがわかっている人に相談に乗ってもらうと、客観的に状況を分析でき、今の自分の状況をフラットな視線で見つめられるようになります。そうしてはじめて解決可能になることもあるのです。」

と本にはありました。

また、

「孤独に対して強くなるためには、たくさんの依存先、選択肢を持つことです。」

ということが、もっと早くしりたかった・・・。ということでもありました。

 

そして、さっそくメンタルケアをしていただけるクリニックへ行ってきました。

 

結果、よかったです!

 

涙が出てしまったのですが、スタッフの方は優しく話をきいてくださり、特に子育てに関しては「家族がいるってすごい学びなの。子どもがあなたにいろいろな素敵な世界をみせてくれるからね。楽しみにしながら子どもとかかわってみてね。」と話してくださり、毎日、目標もやりたいことも見えないなかで鬱々としていたので、嬉しかったです。

 

正直にいうと、、、友人や親、ママ友に話をきいてもらって期待した反応がなくモヤモヤするよりもプロに聞いてもらうって本当にいい!と思いました。

人によっては、弱音を吐くなだの、もっと頑張っている人がいるだの、ネガティブなことを言われるとこっちがへこむだの、いろいろと思われてしまいますから・・・。立ち話の話のネタに使われたり、レッテルをはられたり。

 

以前の私は、お互いに弱音を吐いて、助け合うことでさらに仲が深まるのではないか

なんて思っていたけれど、そうじゃないことがあるのです。

 

心からなんでも悩みを打ち明けられる友達、家族がいなくても、利害関係のない第三者が自分の方に体を向けて「うん、うん、」と聞いてくれることもあるのだなぁと、この経験に感謝だなぁと思いました。

 

自分の話を聞いてもらったおかげで、子どもにも優しく接することができます。落ち着いて対応できるというか。

 

体についてもみてもらい、充電不足といわれて、疲れていますか?の問いには「疲れているってどういう状態で、どこからどこまでが疲れていないといえるのかがわからない。」と答えました。そうですか、との返事に感じるまま発言できるっていいなぁと思いました。

 

悩みの大部分は人間関係ときいたことがありますが、守秘義務のあるプロに頼るという選択肢をとるのもよいですよ。

 

 

 

 

 

 

天気のような気分。

気分が天候にされやすい、と思う。

私。

 

朝、目が覚めた時、なんだかテンションが低いな、このまま布団の中でゴロゴロできていたらいいな、と思う日がある。

そんな日は、曇りだったり、雨だったり、晴れているのに雨が降っていり、

雪が降っていたり、とにかく快晴ではないのだ。

今日は、曇りだった。

 

今朝は、体の一部にかゆみがあるという理由で、よく眠れなかったので、

目覚めの気分はどんよりだった。

 

近くに寝ころんでいたスマホを持ち上げて、なにかに寄りかかりたい気分になったので『小池龍之介』と文字を打ち、検索する。

彼の文章や言葉に触れたくなったときは、たいてい気分が滅入っているときだ。

スマホをながめていると、「あとは死ぬだけだなぁ」という言葉が脳内に浮かんできたので、『あとは死ぬだけ』と入力した。すると、中村うさぎ氏の書籍のタイトルだった。彼女の本は読んだことがないが、レビューをみるとおもしろそうだった。

 

私は、人と一緒にいるときは明るくふるまえるのに(そう自分が思っているだけかもしれないが)、根が暗い自分が嫌だった。

いちばんは、子どもたちに対して申し訳ない、と思っていた。

笑顔が少ないお母さんで、ごめん。

根暗になりがちなお母さんで、ごめん。

深刻に考えすぎちゃうお母さんで、ごめん。

 

でも、元気で明るい日もあるのです。それをキープできないだけなのです。

 

スマホみたり、本をみたり、セミナー行ったり、いろんないろんなところを

かけずりまわって出た最新の答えは、、、

 

「もう仕方ない。これが私なんだ。」

 

あの親と、あの祖父母と、あのきょうだいと、あの環境で

育ってきた私。

保育園、小学校、中学校、高校と18年間もかけてつくられてきた私。

学校はまずまず楽しかったけれど、家は帰りたくなくて夏休みとか

苦痛だったじゃないか。

私は、不安、心配、苛立ちを抱えて成長したけれど、

子どもたちにそれらを渡したくないと思っている。

私も、不安、心配、苛立ちを捨てたい、と思ったけれど、、、

今のところそれらの感情にプラスで孤独、寂しさなんてのも

味わっている。

 

渡辺和子さんの『どんな時でも人は笑顔になれる』という本を読んだ。

ですよね!ですよね!ですよね!とうなずきまくりたくなる箇所があった。

以下、本より抜粋。

「人間はお互いにどんなに多くの言葉を費やして語り明かしたとしても、寝食を共にしたとしても、なお理解し合えず、理解し尽くせないものを持つのです。それは一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない人間が持つ宿命とも言えるでしょう。それらを悟らずに相手を知り尽くそうとする時、不幸と絶望が生まれ、「あのひとのことなら何でもわかっている」と思いこむ時、大きなまちがいをおかすこととなります。」

 

友人はもちろんのこと、どんなに血のつながりがあってもいえることだと思う。

言葉に表したところで、それが本音かどうかは自分にしかわからないことでしょう。

そもそも本音を言うべきところ、言わないほうがいいところもあるだろうし。

その人にとっての本音とは何か、からまずは意見をかわさないとならないものだろう。

 

人との適切な距離って、大事だなぁと思う今日この頃。。。

学校の道徳で、みんなと仲良くすることを教えるのもいいけれど

人との適切な距離から仲良くできることを教えてほしかった。

それはもしかすると、学校ではなく家庭で教えることであって

うちは家庭での会話が乏しかったから親や祖父母の人間関係や態度から

いろんな大人の事情を察するしかなかった。

祖母が私が大学進学のために一人暮らしをするとなったときに

「人をみたら、泥棒だと思え。」

というアドバイスをくれた。

ピュアな私はそれをまに受けたのだが、今になって思い出すと

もう少し、ましなアドバイスがなかったのか?と思う。

 

それは18歳の頃だから、33-18=15。

15年前ね。

あと15年したら、今あるモヤモヤも「今となって思い出すと・・・」となっているだろうね。

 

 

きっと、そうだろう。

 

 

 

 

 

 

 

部屋は汚いが、幸せである。

おはようございます。

 

5歳児を幼稚園に送り出し、3歳児と二人の家にいます。

 

家の中、ぐっちゃぐっちゃ。

乾いた洗濯物の山の、

折り紙の切れ端、

なんならポップコーンも落ちてますw

 

でも、今、気持ち満たされてます。

 

それは、昨日やりたいことをやったから。

気になる人のトークショーへ行って、泣いたり笑ったり。

それはそれは楽しい時間でした。

隣の席の方と話しが弾んだので、一緒に夕飯を食べたり。

その方は、独身で子どもがおらず、バリバリ働いている方で私と違う境遇の人との会話に、お互い「勉強になるね〜」と話したり。

 

地球上にいるそれぞれの人が自分の人生や暮らしぶりについて話したら、励まされたり勇気もらったり解決できたりすることがあるのではないかな?と、思いました。

私は、自分を鼓舞するために、人の意見、考え、行動を知りたいんだと思いました。

 

 

それで、とりあえず今日は部屋がグチャグチャなんです。

部屋を整えれば、綺麗にすれば、掃除をすれば幸せになれる。って本で何度も読んだことがあります。

でも、すごく疲れていたり、泣きたい気持ちだったり、落ち込んだりしている時は、どんなに部屋がグチャグチャでも、スペースをつくって寝たらいいと思うのです。

 

そして、飽きるほど寝て、身体動かしてみようかなって思ったら自分の好きなことのために身体を動かして、それが掃除だったらすればいいのだけど、嫌いだったら、掃除は後回しでよいかもしれないです。

 

私、ずっと掃除が好きで得意だと思っていましたが、片付けや掃除をした後ってすごーく疲れていたりイライラしているんです。

好きだけど、こんな状態の時は好きになれないって時もありますよね。

部屋はキレイだけど、心が満たされた感じは自分のやりたいことをやった後の方がありました。

 

 

今日も自分の「好き」や「心地よい」を選んで1日を過ごしたいです。

 

 

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ここ数日、断捨離したことを後悔し始めている。

寒くなってきました。

長袖がスタンダードになってきた今日この頃です。

 

最近の気分として、断捨離したことを後悔しています。

特に衣類です。

子どもの服、私の服。

“持った時にときめかない”

が理由で処分しました。

そのあと、ときめきとともに服を

新品で購入しました。

あとは、

“捨てたら、空いたスペースに入ってくる”

が理由で空くスペースができるまで処分しました。

 

結果、買ったあと数日ときめいた子ども服は

何回か着ればクタクタになり、空いたスペースに入ってきたのは結局私が買った何かでした。夏の浮き輪とか、、、ボールとか、、、

子ども用のオムツとか、、、

 

 

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そして最近、無料でお下がりをもらっていたり

野菜をもらったりしている人が羨ましい、です。

 

こんなに他人を羨ましいがるくらいなら、服やおもちゃ、捨てなければ良かったなぁとおもいました。

 

こんなにイライラして疲れているのは、物が多すぎて整理整頓できないからだと思い込んでいましたが、今となってみれば、もっと他のところに原因がありそうだと思いました。ものがあっても満たされなくて、処分しても満たされないのは、もののせいでは無かったようで。

 

 

3歳の息子が、私が大人の人とプライベートな話をしていると「おはなし、しないで!」というのです。ぎゃーぎゃー騒いで、気をひこうとします。

今日、それを2度された時に、

“中断されずに、自分の気持ちや伝えたいことをゆっくり整理して話すことが出来たらなぁ。”

と思ったのです。

満たされない気持ちに、ため息でした。

色々と本を読んだせいで、子どものこのメッセージは、私は今話さない方が後々いいってこと?!私の本心は話したくないの?!

などと思い、自分の最初の素直な気持ちを疑ったりもします。

もう、色々と情報をかき集めるとわけがわからなくなります。

 

 

1、2年前にだいぶ捨てたけど、我が家に来客は増えず、入ってくるものも特になく、季節が変わるたびに子どもの服を購入し、虚しくなったりします。捨てていなければ今ごろこのお金で別のことが出来たのに、、、

 

そもそも、ときめくものと出会いにくくなってきました。感度が鈍ってきたのか、見る目が厳しくなったのか、、、だとしたら、ときめかないとしても、体をあたためてくれるものやお腹を満たしてくれるものがあることに満足です。

必要を満たしてくれるなら、それでマルです。

 

それにしても、自分でときめくと思い込んで買ったくせに、他人がタダでおさがりなどをもらっているといいなぁ〜となる、この欲深さよ

、、、なぜに、まぁいいかと思えないのか。

おそらく、タダでもらっている人の方が私よりも大切にされている感じがするのでしょうね。

そこの部分だけを切り取るとね。

私が損をしているような、、、無職の30代をあわれんでくれ!とでも思っているのですね。

 

 

あーあ、なんで捨ててしまったのだろう?

でも、あの時の私の心理状況では仕方ないです。産後のメンタルはどん底でしたからw

 

今日からまた、ものとお金を大切にしていくのみ。

 

過去にはそういうゲームを楽しんだ、ということで。

 

家族が健康でいられる、そのことに意識をフォーカスすれば、今日も感謝です。

 

今日は満月です。リビングを片付けました。

今日は満月です。

月よりも天気に左右されている気がする私の気分は、どんよりモードです。

くもり、からの雨。

 

今日は外出の予定がない日だったので、

部屋の模様替えをしました。

 

賃貸の我が家。

子どもがリビング学習すると良いと

雑誌やら本やらに書いてあったので、

ランドセルから教科書から

ゲーム、漫画、賞状、作品など

なんでもリビングに置いていました。

小学生が2人いるので、2人分です。

 

さらに、衣類が入ったケースも、

動線を短くするために置いていたのです。

 

6畳のリビングに、子どものもの、

テーブル、42型のテレビ、もうすぐ活躍するであろう石油ストーブ、本棚、などなどありました。

それぞれは単体として整理されているのですが、部屋を端っこからみると、なんだかモヤモヤするのです。リビングでご飯を食べる時も、居心地の悪さを感じていました。

 

みない振りをしていたモヤモヤ。

色が多いような、、、モヤモヤ。。。

窮屈なような、、、モヤモヤ。。。

なんか、、、モヤモヤ。。。

 

 

そのモヤモヤが今朝、爆発しました。

子どものために、子どものためにって、

いつになったら私の快適は得られるんだよ!!

。゚(゚´Д`゚)゚。

と、なりました。←実際は、しくしく涙ではなく怒り狂いました。自分に向けてイライラが止まらず。

 

家の中で私の安らげる場所は、トイレとウォークインクローゼットの中(←冬場、物を取りに行くのが寒いので、頻繁に使うものは何も置いてなく、ほとんどものがないです。)だけかよ!!

リビングだって、(私の)居心地の良い場所にしたい!!

と、本当に思ったので、朝子どもたちに了承を得て、子どもたちが帰宅するまでずっと家具を移動したり、掃除機をかけたり、せっせと動きました。(お菓子をおともに。)

 

 

結果、リビングには、テレビ(&テレビ台)・テーブル・石油ストーブ・本棚・バランスボールになりました。

 

すっきり、、、!!!

 

いい眺め!!!

 

シンプルなリビングがやはり好きなんだな、とわかりました。

 

それとも、新しい刺激でしょうか?

変化することがね、脳に喜びとして

刺激が伝わったのでしょうか、、、。

また飽きたら、モヤモヤするかもしれません。

だとしても、“今”私は心地よさを感じている、

そのことがホッとできます。

リビングのテーブルにスマホを置いて文字を打っているだけで、こんなに心地良いとは!

 

 

 

子どものリビング学習ね〜、したければリビングに自分で教科書とかもってきてしたらいいですよ。

 

私は、私の母が自分の楽しみを犠牲にして子どものためにってするのが苦痛だったので、私の遺伝子を持っている子どもたちは私がモヤモヤしながら子どものためにって行動しているのが嫌だろう。

 

どんな教育論にもいえることですが、誰々ちゃんのママがオススメしていたからではなくて、

我が家の子どもにはたして合っているのか、

ついでにこの教育論を考案した人の時代背景はどうだったのか、統計データはいつのやつですか?人数は?など、じっくり見ると納得した上で取り組めるのではないかな、と思います。

調べているうちに、なんだか手をつけたくないっていう気分にもなるかもしれませんし。

 

リビングの片付けの話しからずれましたが、、、

 

満月は色々満ちる時らしいので、

日々のモヤモヤが満ちて爆発からのすっきりした今日でした。

 

 

 

 

 

 

 

2歳、最後の日。

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本日は、我が家の息子の最後の2歳の日でした。

 

外遊びや外出が好きな子で、

「お外にあちょぶーーー。」(お外で遊ぶ。)

と朝から言っていたので、

洗濯物を干し終えて

兄姉を送り出して

二人時間を楽しみました。

 

ジェラードを食べて
動物園へ行って
公園の遊具で遊び

おちゃかな(お魚)にエサをあげて


たくさん遊んだ今日。

 

 

泣かなくなったなぁ。

抱っこってすぐに言わなくなったなぁ。

椅子に座って食べてるよ。

手をつないで歩いてくれるんだ。

寝てる、起きてる、食べてるって

動物をみてわかるようになったんだ。

いっしょに行こう、とか、

みててね、とか、

やっほー!とか、

言えるようになったのはいつだっけ?

人差し指だけでしていた

ピースのサインが

人差し指と中指でブイを作れるように

なったのはいつだっけ・・・?

意識しない間に、

毎日少しづつ変化していっていたのだね。

 

 

今日は

たくさんの気づきがあった

一日でした。

 

 

あぁ、もう我が家に2歳児がいないなんだなぁ

と思うと少し寂しいです。

1歳のなん語から、2歳でいる間のお話できるまでが、

歩き方とか話し方とか

とてもかわいらしかった。

大変だなぁ、、、と

思うこともたくさんたくさんあったけど、

今に意識を向ければ、

もう、そんなことは思い出さなくてもよい。

ただ、元気に走り回るキミの姿があれば

あぁ、平和だな~と思うのです。

 

 

 

 

一番上の子の時は

早くなんでもできるようなることが

喜びだったのに、

 

一番下のこの時は

なにかができるようになることに

寂しさを感じます。

 

 

「あたみ」

「はさみ」

になる日は、残念に思うかもしれません。

 

「ちゃー、ちぃー、ちゅー、ちぇー、ちょ。」

「さ、し、す、せ、そ。」

になる日は、いじけてしまうかもしれません。

 

 

なのに、

オムツは早くとれてほしいな、

なんて都合のいいことを考えます。

う〇ちだけでも、せめてトイレで・・・。

兄や姉は3歳になるまでには

トイレにいっていたのですが・・・。

これからまた、根気よく、毎日教えていきます。

 

 

「まーま、だいちゅき^^」

と言っている姿を撮影しておかないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園選びに迷ったら。

 

秋、幼稚園の申し込みが始まる時期です。

幼稚園選び、迷います。

 

夫と私の意見の違いにも、なんだかなーと

肩を落とします。

 

夫は、一番近くて送迎しやすいところ。

(夫は送迎しないのですが、、、。)

 

私は、外遊びが多く、先生から指示されることが少ないところ。

(私の保育園時代として、

悲しいかな暗い思い出しか覚えていないから。)

 

夫は保育園時代のことを

何も覚えていないそうで、

小さいころのことなんて忘れてしまうから、という意見です。

 

私は先生に怒られたこと、

かきたくもないのに

絵をかくことを強要された(と感じた)こと、

お遊戯会でズボンが破れて

パンツが丸見えになったこと、

カバンに付けていたキーホルダーを

クラスの子からしつこく「ちょーだい!」と言われて

不快だったこと、、、

結構色々覚えています。

 

 

子どもも私の遺伝子が入っているし、

(突然ですが、)

動物占いペガサスという、

自由な男子なので、

小さいうちはのびのびできる時間があり、

友達と戯れる時間もあり、

とできるだけ

本人のやりたいことを

尊重できる環境を選びたいと、

私は思っています。

 

 

「幼稚園が決まらなくて、、、」

と、未就園児クラスのスタッフさんに

話してみました。

 

スタッフさんの考えが良かったので、

メモです。

 

「候補にあがっている

幼稚園に行かせることの

メリットとデメリットを全て書き出して。

それから、

自分が子育てで

本当に大切にしたいことは何か

ということも書き出して。

 

そしたら、自分が大切にしたいことを

サポートしてくれる環境があるところを

候補の中から選ぶの。

 

もし、候補と自分が大切にしたいことが

違っていたら、

それは園から帰宅した時でもいいし、

休日でもいいから

自分が大切にしたいことを意識して

子どもと関わるの。

 

そして、もし、

候補の中に合うところがあって、

そこに行かせたとして、

でも幼稚園で辛いことがあるかもしれない。

そうしたら、

また自分が子育てで大切にしたいことを

見返してね。

初心に戻って

また頑張ろうって思えるよ。」

 

 

*********************

 

 

子育てって、

なんのためにするんだろ?

って思う時があります。

 

昔と違って、

子どもに働いてもらって

家の稼ぎを増やすため

では  なさそうだし、

お金が、とか

不登校で、とか

子どもを育てているから

ならではの悩みもあります。

 

どんなに悩んだり

お金を出したところで、

成長すれば親元を離れたり、

親よりも友人や恋人が

大切になってきたりします。

 

子育ては、

親の自分自信の成長のため

だなんて

(確かにメンタルが鍛えられますが、、、)

なんだか辛いな、

と思います。

 

もしかすると、

子育ては

今を楽しむ  

ってことを知るため

かもしれない、

と思います。

 

それほど

乳幼児期の成長は早く

泣いたり

座ったり

歩いたり

歌ったり

今の君は今しかないんだな、

と愛おしい気分を

楽しむ。無理せずに。

 

マンネリ化して

楽しめないと感じたら

距離を置いてもいいのです。

物理的にも、

精神的にも。

 

 

自分の成長のために!

と歯をくいしばるのは、

選ばなくてもいいように思います。

驚くほど、誰も褒めてはくれません(^^;)

 

 

 

 

注 ※ 個人の意見です。