それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

ブログを書くメリット。

 脳内で独り言を言う時間が多い私です。

本当に起きている間は、何かブツブツ頭の中がうるさいです。

ブツブツの内容は、意外とその時期、時間によって似たようなことが多く、結局グルグル回っているのだな、と思います。

もしかすると、ブログの記事にしてしまえば、ブツブツが文字に変換されて、グルグル一旦ストップするなんてことがあるかもしれない、とブツブツ考えました。

 

ということで、(私にとっての)ブログを書くメリットを記しておこうと思います。

 

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1.  私の意見を知ることができる。

 

 ブログを書きながら、「へぇ〜自分ってこんな風に考えているんだな。」と客観的にみることができます。頭の中で独り言を言っている時は、どの考えに何%同意しているのか、この気分は快か不快かなどが、なんだか曖昧です。

すぐに話題があちこち行ってしまうし、次から次へこなさないとならない事がやってきて、中途半端な独り言だったりします。

文字にすれば、自分で綴ったのにもかかわらず、自分のものではないような錯覚もします。

でも、他でもない、自分の意見であります。

それをフムフムと眺める。鏡を見ながら自画像をかいているような。答えを見ながら答え合わせをしているような。自分を知るって、私はおもしろいです。

 

2. 私もそう思うよ。と、賛同できる。

 

私、色々な方のブログを日々楽しみにしているんです。なんというか、ブログが更新されると、新しく手紙が来たみたいで嬉しくなります。

私が読ませてもらっいるブログは、心のこと、考え方や生き方に関することが多いのですが、普段そういうことを話せる相手がなかなかいないのです。なぜか、といえば、そういうことを話し合わなくても、すでに衣食住満たされて暮らしているからですね。私の場合は。

でも、知らなかった世界や、知らなかった価値観を知るのは面白いことで、そのことで安心できたり、イライラすることが減ったりします。

確かに、発信している方々に「いいね!」を押したりコメント欄に書きこんだりすることもできます。しかし私はなぜか、自分もそういう価値観を支持していますよ、と自分で述べたいなと思いました。 誰かの役に立てばな、なんて思っていませんが、あえて誰かといえば、我が子たち。こんな時はこんな風に考えるってことも出来るよ、とか、こういう価値観も母は経験上有りだなと思っている、とか知ってほしいなんて、思ってしまいますが、まぁ知らなくてもどっちでもいい、です。

 

3.好きなことや関心が明確になっていく(気がす    る)。

 

 結局、一日24時間過ごしても、興味のあること、関心のあることしか、たくさんは書けないのです。毎日車を運転しているとはいえ、車に関する知識や興味がほとんどなくて、書けることといえば、「車に感謝はしているものの、車内の汚れは酷い。特に、チャイルドシートの裏。以上。」くらいです。

 

 好きなことは、おそらくキラキラしていることに限らないでしょう。あの行為が本気で許せない、あり得ない、あー私今あの腹立つやつにファッションの100倍関心ありまくるわ!という日もありますよ。 それでさえも、私のヒントなんだと思うのです。

愚痴ばかりの日が続く時は、「、、、あ、もしかして私の好きなことの一つは、愚痴をいうことだわね。メモメモ、っと。」と、気付いたりするかもしれません。

 

 

4.自分の考えが整理されると、一種の快感を覚える。

 

ごちゃごちゃしているのが苦手で、特に自分の考えがまとまらない時と、子どもたちの小学校のプリントと幼稚園のプリントと勝手に投函されるチラシがごちゃごちゃしている時は、この扱いきれない気持ちをどこに向けたらいいのかわからなくなり、声にのせて空気の一部にします。つまり、何かに向かって罵倒している状態です。えぇ、大丈夫です。賃貸一軒家に住んでいます。

整理整頓された時の、あの美しさが快感です。

数学に美しさを感じる人が世の中にはいるようなので、美しく変化した快感は何に感じてもマルでしょう。

 

5.なんか知らんけど達成感がある。

 

「ふぅ、完成した。」という時、美しいものとして(あくまでも自分基準で)整ったという快感と、それが時間がかかったものであればあるほど、追加で達成感があります。食器を洗うのに5分だと、「オケ!終わった。」なのに、1時間だと「ぅおわったーーー!!あー!!」と、床に寝転んで両手を伸ばし天井を仰ぐ感じの達成感です。まるで、登頂し山のてっぺんで空を仰ぐかのようなやつです。

が、しかし、食器洗いの達成感は嫌なやつが終わりました、という達成感です。なので同じ達成感でも、達成するまでの気分にはいささか違いがあります。ブログの方が楽しい、からの、達成感、です。

 

6.いつでもオープンしちゃっていいタイムカプセル感がある。

 

 小学6年生の時に、二十歳の自分に手紙を書きました。二十歳の時は、大学生で実家から離れて暮らしていたために、実家に住む家族がイタズラだと思い勝手に手紙の封を開けてしまったことには詳しくふれませんが。

内容は、好きな人と幸せになって下さい的なことでした。(親に見られたのは本当に恥ずかしかったです。)字は二十歳の時のとは違っていて、昔の書いた字が懐かしかったし、書いた内容を全く覚えていませんでした。唯一覚えていたのは便箋の絵でした。でも、二十歳で小学6年生ならば8歳しか違いません。現在からですと、8年前は長男が生まれています。

私は今から8年前のことは結構覚えているつもりですが、二十歳の頃の8年前はタイムカプセルのことも忘れています。それほど、濃厚な8年間だったのかな、と思います。確かに今の主婦の暮らしよりも刺激は多かったですね。

タイムカプセル感がある、と思ったのは、あー私って過去にこんなことを考えていて、こんなことを未来に期待していたのだな、と過去のブログから読みとれると思ったからです。

そしてそれは、いつ振り返っても良いです。

同じような出来事に遭遇した時や、今の出来事の過去とのつながりを知りたくなった時、嬉しい時、悲しい時、暇な時、いつでも、です。

 

 

7. 趣味を活かせる。

 

写真をスマホで撮影したり、絵をかいたりするのが決して上手ではないですが好きです。ただ、撮影して終わり、描いて終わりでした。しかし、ブログで文字と一緒に載せると、なんだか新たな使い道のような気がしておもしろいな、と思います。フリー素材の写真を眺めているだけでもおもしろいですが、何かに使うという目線で写真を見ると違った楽しさがあることも知りました。  私は今のところはやらないですが、動画やスナップチャットの写真が載ったり、ブログを読みながらその記事をイメージしたBGMが流れたり、色々と工夫次第で自分の部屋に来た方々をもてなすみたいなことになったりするのかなぁ、なんておもいます。きっと、私の知らない場所ではすでにありそうだな、と思います。パソコンの技術に関しては、まだ知識が浅いです。 これからきっと、楽しいこと、興味がわいたことは身についていくことでしょう。

 

8. 普段は同時多発的独り言の私が、今、この時に集中できる。

 

同時に多発に独り言っていったいどういう状況かを説明しますと、何かを考えている時にある刺激(誰かからメールが来た、子どもが泣いた、お茶をぐいっと飲んだ、などなんでも)によって「そういえばあれはどうなった?」と昨日考えていたことや、こなさないとならないことを思い出したり、また次の瞬間には「そういえば」とまた別のことや今の直前までブツブツ脳内で言っていた独り言に話題がうつったり、厳密に言えば同時ではないが、ほとんど同時に色々と話題が移りながらも色々ブツブツ言っている、ということです。

それが、ブログをかいている間は、目、と手と頭を使ってひとつのことをやっているので、「今私の考えていることは、これなんだ」とうのが明確です。脳内独り言の時は、大体家事しているので、頭は夕飯のことを考えて、手は洗濯物をたたみ、目はテレビをチラチラ見る、なんてことはよくあります。

 

集中にメリットを感じるなら、家事を集中してやったらいいのに、と自分にアドバイスしたい私ですが、家事は好きな気持ちよりも、何時までにこなさないとならないという気持ちが勝っているので、まぁ今のままでもよいかなと思います。

 

 

 

 

8までメリットを述べて、9、10、、、といけるかと思いましたが、出し切りました。

私は何度もブログをはじめて、中断し、放置し、ということの連続人生だったので、もしかして100記事を書いたあかつきには、何か新しいメリットが見つかるかもしれません。

未来の自分に期待します!

 

注 ※ 全て私の個人的な意見です。