それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

小学校が減少しているという記事を読んで、自分の過去について考えた話。

我が家の唯一の新聞、朝日小学生新聞

昨日の1面記事は「小学校減り 統廃合へ 岩手県雫石町 来年度は5校へ」である。

1957年度 全国に2万6988校あった学校が、今年度は2万95校(うち公立は1万9794校)。2050年ごろには今の3分の1になるという研究があるそうだ。

 

雫石町の廃校になる学校は、139年の歴史があるそう。3面に関連記事もあり、そちらに掲載されていた学校は143年の歴史があるという学校は50年前は200人以上が通っていたそうだ。

記事の最後の方には「これから日本は史上初めての人口減少時代にはいります。」とあった。

 

全体としては人口減少社会なんだろうな、とは思うけれど、以前の新聞か何かの記事で人口が多くて小学校が足りないから新しくつくる的な記事をみかけた。偏りが生じているのかと思う。

 

地方から都市部に人口が移っていく流れ。それぞれの考え方で、悪くはないと思うけれど、「地方から都会へ」は自分が大人になって親から言われてたことが刷り込みだったと思ったので、記録しておきたい。

 

私の故郷も人口減少が進んでいる。企業を誘致したいとか、人を呼ぶためにいろいろ模索している。

予想だが、今私の故郷に住んでいるうちの親は、地域経済とか人口うんぬんとか未来の地元がどうなるかとか多分考えてなかったと思う。

特に母は、どこそこのだれだれはどこに進学したとか、どんな仕事をしているとか、どんな暮らしぶりだとか、そんなことをよく話していた。そして、子どもたち、特に娘には家を出てそとを見てきたほうがいいみたいなことを言っていた。(今思うと、近所の人や親せきとコミュニケーションがあるからこそ出てくる話であり、近所の人の名字は知っているけれど会釈しかしないうちからしたら、いいなぁと思う。)

高校生になると「○○ちゃん(私の2歳上の先輩)が彼氏ができたんだって。○○(私)は、なんのために高校にいくのかちゃんと考えなさいよ」と言われたのだ。当時「天使なんかじゃない」という漫画とか学園漫画を読んでいたために、学生時代の制服デートに密かに憧れていたが、、、「え?そうなの??今、遠回しに恋愛禁止令出ましたよね?」と思ったものだ。結局、彼氏も男友達といえる人もできなかった。2年生後半から、3年生の時はずっと進路のことで頭と心を悩ませていて、心から安心して楽しんで学校生活を送ることはできなかったと思う。

特別なりたい職業もなく、ぼんやりとしかなく、(今なら運よく合格したといえる)文系の学部がある大学に入学し、母親には「一流企業の入社試験をうけろ、それか資格をとりなさい」みたいなことを言われた。

 

長女だったということもあり、心配だったのだと思う。

でも、母にとっての安泰な暮らしといえば、大学へ行くこと、それから高収入が期待できる資格をとるか、有名な企業につとめるか。そして、親戚にも恥じない?娘であってほしいみたいなのあったと思う。

お金のことでよく私の父親と気まずい雰囲気になっていたので、私も子供の頃はもっとお金があればなぁ、と思っていた。

 

今は、ある収入の範囲内で暮らしていけばいいじゃないか、と思う。そこに、勝ちも負けもないだろう。みんなと同じものを持ってないことがかわいそうとか、みじめとかではないんだよね。うちにはありません、以上。それだけなんだ。

 

母は地元に帰ってきなさいとは言わなかった。父とはほぼ会話しないけれど、肩書や収入で人の価値を判断するところがあるので、子どもたちは父の自慢の子には誰もなれなかっただろう。

 

家でゴキブリを1匹みかけると家中に何十匹と潜んでいる、みたいなことを聞いたことがある。例えがよくないが、うちの親がそういう価値観だった時に、同じ地域に似たような考えの家庭(子どもは都会の大学へいって都会でたくさん稼ぎなさいのよう考え)が何十軒もあったとしたら、そりゃ人口が減るわな、と思う。

 

夫の地元は県庁所在地である。県内外から人が移動してきたようで、子どもの頃遊んでいた公園も、空き地も、子どもが遊べるような場所にはぎゅうぎゅう詰めに家がたったそうだ。

 

人口が減ることに寂しさを感じる。

でも、世界的には増えているんだよなぁ。

便利か不便かもいいんだけど、自分にとっての豊かさとはどういう状態かを今後は考えていきたい。