それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

自己責任と思わないと辛いんだ。

類は友を呼ぶとか、パートナシップとか、家族とか。相手あってのことにあまり期待しないほうがよいと思う。生きるために必要なお互いのやることを、淡々とこなせばよいのだ。

 

夫の帰りが遅いとか、子育てへのかかわりが少ないとか、夫を責め続けているとき責めている自分が辛かった。期待に応えてくれないことが、自分も子どもも大切にされていないような気がしたのかもしれない。体も心も辛かった。

他人の家との比較も辛かった。仲のよさそうな夫婦はほほえましく、憧れでもあり、どんなにお金をだしても(そもそも出せるお金もないが)手に入らないものだろうと思った。

夫を責めたり、他人の家と比較する。それは私の母の癖でもあった。でも、母がそうしていたから私もそうなったのだ、なんて矢を次は母に向けることはしない。自分が気づかないうちにそれを選んでいたのだとわかることができたので、次にいかすだけだ。

 

昔の子育てと今の子育てを比較することがある。私が子供の頃は近所との付き合いがあったり、地域の活動が盛んだった地域に住んでいた。今はほぼ近所、地域の活動に参加することなどない。子どもの立場で参加する、近所付き合いをすることと、大人の立場でのそれとはかなり違うのだろう。いいことだけではない。気をつかったり、陰でなにか言われたりすることもあるかもしれない。となれば、デメリットを避けて人付き合いが希薄になるのは仕方のないことなのかもしれない。

 

人が快適な生活を求めるために様々なものをつくり、社会に広まった。便利で快適になれると不快をなるべく排除しようとするのではないだろうか。面倒なことに巻き込まれたくないが、おいしいところだけは欲しい。そうなると、子育てや介護を引き受けるには相当な覚悟や諦めのような感覚が必要になってくるので、きつい。きっと時間が解決してくれると時の流れにだけ期待しつつ、こなしていくものとなったりする。第三者に共感してもらえないことを嘆いても自分が苦しいだけである。他人は他人の暮らしなんぞ「ふーん、あぁそうなんだ」というくらいだ。子どもを育てる前の私は無知で、社会のことなんぞなにもわからなかった。むしろ、子どもは社会で育てるものだとか、社会の宝だとか思っていたけれど、だからといって実際夜の授乳とか家事などを手伝ってくれる人はいない。あっても有料である。乳幼児と一緒にいて家事をすることは結構きつくて、私はこの辛さをこえられたらもうなんでもできそうだ、と思うほど精神的にも体力的にもつらかったが、泣く時間が少なくなったり子どもが成長すると、なんでもできそうと思っていたのにあの時の体験が逆にトラウマになり、もう二度と体験したくない出来事として記憶された。それが人によっては、「私も辛かったのだから、あんたも一人で頑張れ」のような姿勢になってしまうのかもしれない。

 

愚痴を言っても、食器はキレイにならないから。孤独にたえ、寂しさにたえ、完結しない苛立ちにたえ、劣等感にたえ、淡々と目の前のことに取り組もう。結婚、子育て、はっきり言って幸せな事例ばかりではないのである。