それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

人間の悩みのほとんどが、人間関係の悩みだとしたら、家族なんて悩みの種でしかないのではないか。20代で結婚し、子どもを出産した私にの場合は種が芽を出して双葉あたりをつけやがった気がする。

夫との関係、子どもたちとの関係、家族たるものこうあるべき、いろんなものから自由になりたい。もっと欲を言えば、もういいかなと思うまで一人の時間が欲しい。恋人関係になるとき、寂しさや将来への不安からの行動だったといっても過言ではない。当時は「勝ち組 負け組」という言葉が流行っていて、今以上にメディアの情報に流されやすかった私は、負け組にはなりたくないと思っていた。

あの時負け組だと思っていた組は、実は私にとったら勝ち組だったのではないかと、なんとなく思う。私は家庭を切り盛りできる器ではなかったのではないか。壮大なプロジェクトに挑戦してしまったものだ。

夫は出会ったころから15キロ近く肥えた。子どもたちはかわいいが、1日に最低1回は子どもの起こしたことで私の眉間にしわが寄る。がっかりしたり、焦ったり、イライラしたりは日常茶飯事である。せめて高校の家庭科で、家庭での子育てについて家事について教えてほしかった。こんなにも達成感や完結を感じられないことだなんて。子どもはかわいい。でも、かわいいだけでは育てられないと感じる。ペットじゃないのだから。産む前よりも産んだ後のほうが、責任を感じるし、自分の器の狭さに直面するなどプチ挫折感が半端ない。

 

戸籍上、世間的には家族と呼ばれるメンバーと暮らしてみて思ったこと。夫がいても子どもがいても、孤独な時は本当に孤独だということ。誰かがいれば、と他人に期待してもその誰かが自分の期待に応えてくれないことが多々ある。それは家族だけではなく友人、同僚、近所、対人間との間によくあるみたいだ。家族なんだから、と期待していると応えてくれなかったときに悲しいのは期待した方である。結婚して10年弱、期待通りに動いてくれないだろうなという予防線を、まずはってしまう。他人はコントロールできないんだ、って子どもの頃は半分知っていたけど、まだ期待感が残っていた。今は、期待や予想通りにいけばラッキーでそうでないことが多い、ということを身をもって何度も体験した。

 

しかし、まだまだ出てくる承認欲求。おせんべいみたいにバリバリに砕いて熱いお茶と一緒に飲み込んでやりたいわ。