それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

子どもに「怒鳴る」だけはしたくない。

子どもってどう育てたらいいかなんて、わかっていない。ただ、自分がこんな親がいてくれたらなぁという気持ちはある。しかし、せっかく大人になったのに子供の頃にできなかったあれこれを子育てのためにあきらめているところもある。子どもの頃は親のお金で親の顔色を多少は伺いながらだったが、大人になって家族ができると夫の顔色を伺って、子ども時間に合わせたりと制限から解放された感じはしない。ま、それは自分の選んだ道である。受け入れようではないか。

 

自分の選んだ道が「あ、自分には合わないことだったんだ」と気付いたけれど、元に戻れない時、その道を楽しむ方法を生み出すしかないのかもしれない。特に、命を宿したものであれば余計にそう思う。昔、飼い猫を家族の中のペット反対派の方々に捨てられて布団をかぶって泣きまくったことがあるので、ペットであっても途中で捨てることはしたくない。

 

さて、子どもと接するときのことである。できるだけ、できるだけ冷静さを持ちたいと思っている。冷静より少し気持ちがあがっている、くらいのテンションでいたい。そして、可能な限り「怒鳴る」を減らしたいと思っている。夫が私からしたら結構些細な事で怒鳴る系の方だ。先日も、子どもたちと一緒に行った公園で3歳のうちの子を叱っていた、というよりも怒鳴っていた、と感じた。せめて3回目くらいまでは冷静に意見を伝えて欲しい、と私は夫に言ってみたが、本人がそうしようと思わない限りは変わらないだろう。

 

最近は子育て本をあまり読まなくなったが、以前何かの本で「幼い子どもを怒鳴っても恐怖を感じるだけで、自分の何がいけなかったのかを理解することができない」ということ読んで、ですよね、と思ったことがある。叱るときは、その子どもの後ろから体に触れながら耳のそばで小さい声で話す、という方法もあるくらいなのだ。人は大きい声には耳をふさぎ、小さい声は耳をすまして聞こうとする、とも聞いたことがあるし、実際私もそうだなと思った。私の遺伝子を持つ子どもならば、大きな声が苦手ということも遺伝している可能性がある。よって我が子には、怒鳴るという叱り方はあわないのだろうな、と思っている。

 

しかし現実は・・・怒鳴りたくないけれど、怒鳴ってしまうことがある。自分が疲れているときの子どもたちのケンカの声がうるさいときとか、子どもたちがひどい言葉で相手をののしっているときとか。それに毎日注意しても、脱いだ靴下を洗濯かごに入れないとか、何年言っても手に持っている物を投げるとか。そういうことが続くと叱ることも諦めてきてしまう気持ちとかもわかる。怒鳴りたくなる気持ちもわかるし、通り越してどうでもよくなってくる気持ちもわかる。

 

可能な限り「怒鳴る」はやめたい。怒鳴る大人になってほしくないのでね。大人になった子どもたちに、怒鳴られたくもない。頑張ろう。せめて子どもたちの前では、我慢強い私でいよう。