それで、それから。

甲信越地方の専業主婦の日々です。

天気のような気分。

気分が天候にされやすい、と思う。

私。

 

朝、目が覚めた時、なんだかテンションが低いな、このまま布団の中でゴロゴロできていたらいいな、と思う日がある。

そんな日は、曇りだったり、雨だったり、晴れているのに雨が降っていり、

雪が降っていたり、とにかく快晴ではないのだ。

今日は、曇りだった。

 

今朝は、体の一部にかゆみがあるという理由で、よく眠れなかったので、

目覚めの気分はどんよりだった。

 

近くに寝ころんでいたスマホを持ち上げて、なにかに寄りかかりたい気分になったので『小池龍之介』と文字を打ち、検索する。

彼の文章や言葉に触れたくなったときは、たいてい気分が滅入っているときだ。

スマホをながめていると、「あとは死ぬだけだなぁ」という言葉が脳内に浮かんできたので、『あとは死ぬだけ』と入力した。すると、中村うさぎ氏の書籍のタイトルだった。彼女の本は読んだことがないが、レビューをみるとおもしろそうだった。

 

私は、人と一緒にいるときは明るくふるまえるのに(そう自分が思っているだけかもしれないが)、根が暗い自分が嫌だった。

いちばんは、子どもたちに対して申し訳ない、と思っていた。

笑顔が少ないお母さんで、ごめん。

根暗になりがちなお母さんで、ごめん。

深刻に考えすぎちゃうお母さんで、ごめん。

 

でも、元気で明るい日もあるのです。それをキープできないだけなのです。

 

スマホみたり、本をみたり、セミナー行ったり、いろんないろんなところを

かけずりまわって出た最新の答えは、、、

 

「もう仕方ない。これが私なんだ。」

 

あの親と、あの祖父母と、あのきょうだいと、あの環境で

育ってきた私。

保育園、小学校、中学校、高校と18年間もかけてつくられてきた私。

学校はまずまず楽しかったけれど、家は帰りたくなくて夏休みとか

苦痛だったじゃないか。

私は、不安、心配、苛立ちを抱えて成長したけれど、

子どもたちにそれらを渡したくないと思っている。

私も、不安、心配、苛立ちを捨てたい、と思ったけれど、、、

今のところそれらの感情にプラスで孤独、寂しさなんてのも

味わっている。

 

渡辺和子さんの『どんな時でも人は笑顔になれる』という本を読んだ。

ですよね!ですよね!ですよね!とうなずきまくりたくなる箇所があった。

以下、本より抜粋。

「人間はお互いにどんなに多くの言葉を費やして語り明かしたとしても、寝食を共にしたとしても、なお理解し合えず、理解し尽くせないものを持つのです。それは一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない人間が持つ宿命とも言えるでしょう。それらを悟らずに相手を知り尽くそうとする時、不幸と絶望が生まれ、「あのひとのことなら何でもわかっている」と思いこむ時、大きなまちがいをおかすこととなります。」

 

友人はもちろんのこと、どんなに血のつながりがあってもいえることだと思う。

言葉に表したところで、それが本音かどうかは自分にしかわからないことでしょう。

そもそも本音を言うべきところ、言わないほうがいいところもあるだろうし。

その人にとっての本音とは何か、からまずは意見をかわさないとならないものだろう。

 

人との適切な距離って、大事だなぁと思う今日この頃。。。

学校の道徳で、みんなと仲良くすることを教えるのもいいけれど

人との適切な距離から仲良くできることを教えてほしかった。

それはもしかすると、学校ではなく家庭で教えることであって

うちは家庭での会話が乏しかったから親や祖父母の人間関係や態度から

いろんな大人の事情を察するしかなかった。

祖母が私が大学進学のために一人暮らしをするとなったときに

「人をみたら、泥棒だと思え。」

というアドバイスをくれた。

ピュアな私はそれをまに受けたのだが、今になって思い出すと

もう少し、ましなアドバイスがなかったのか?と思う。

 

それは18歳の頃だから、33-18=15。

15年前ね。

あと15年したら、今あるモヤモヤも「今となって思い出すと・・・」となっているだろうね。

 

 

きっと、そうだろう。